麻雀を知っている人もそうでない人も、「赤木しげる」もしくは「アカギ」の名前を聞いたことがあるのではないでしょうか?福本伸行先生が生み出した孤高の天才であり希代の博徒。その常識にとらわない生き方や独特な思考・台詞回しは今もなお多くの人を魅了してやみません。
これまでに幾度となく修羅場をくぐりぬけ勝利してきた赤木。そんな超人とも言える彼もとうとう最期の時を迎えることとなりました。死因は、なんと『自殺』です。
それが描かれるのは『天 天和通りの快男児』という麻雀漫画なのですが、今回の話ではほぼ麻雀について触れられません。赤木が自死に至るまでの過程と彼自身の死生観を仲間と共有することに焦点が置かれており、『死』と『生き方』について深く考えさせられる内容となっている為その一部を記事に取り上げてみました。
赤木しげるの告別式
裏雀士達がしのぎを削った死闘、麻雀東西決戦から九年の月日が経ったある日。赤木と同じ東陣営だったヒロは麻雀の世界を捨て、サラリーマンとして働いていました。東西戦で赤木や天といった超一流の雀力を目の当たりにし、彼らと自分との間には絶望的な実力差があることを知ってしまったヒロ。たとえ麻雀を続けても彼らの境地には到底辿り着けない……その劣等感に一生苛まれるくらいなら、まだ勤め人をしているほうが自尊心も世間体も保てるとヒロは考えました。
しかしそれは果たして本当に正しい選択だったのかとヒロは苦悩します。麻雀以外に生きがいを見つけられず、くすぶった暮らしを送るヒロ。好きな道を歩むことの苦しみ。安定とひきかえに失った情熱や心の充実。どちらを選ぶべきだったのか、ヒロは答えを見出すことができません。
そんな折り、ヒロは新聞の片隅にショッキングな広告を見つけます。それは、「赤木しげるの告別式の報せ」でした。
信じがたい報せに混乱するヒロ。あの赤木が死ぬなんてありえない。何かの間違いではないのか?状況を飲みこめないまま、ヒロは赤木の告別式が行われる清寛寺に向かいます。
喪主は赤木自身
「どうして……!?」
未だに赤木の死を信じることができないヒロは焼香を終えると、ある喪服の男から声をかけられます。この後親しい者たちで通夜を執り行う予定なので出席してもらえないか、と。
奇妙な話です。通常通夜というのは告別式の前に行われるもの。順番が逆なのではないかと怪訝に思うヒロでしたが、ひとまずは男の案内通り別室で待機することに。
告別式が終わり、喪服の男が再びヒロに声をかけます。通夜の準備が出来たこと。会場までは喪主が案内すること。そしてその喪主とは……死体ではない、生きたままの赤木しげるその人でした。
ヒロは思わず、いくらなんでも悪質な冗談だと怒りを露わにします。しかし当の本人は涼しい顔で意に介しません。そしてとんでもないことを言い放ちます。これは冗談でも何でもなく、正真正銘、赤木しげるの葬式なのだと。
赤木の真意とは?
通された部屋にいたのは、かつての敵と味方―――東西戦のメンバーの面々。しかしそこに懐かしさはなく、重苦しい空気だけが漂っています。
なぜ皆が集められたのか、なぜ赤木が死ななければならないのか。困惑するヒロに金光が説明します。
金光が差し出したのは一枚のMRI写真。それは現在の赤木の脳を映したものであり、赤木の脳は病魔にむしばれていました。病名は、アルツハイマー。
アルツハイマー型認知症は、認知症の中で最も多く、脳神経が変性して脳の一部が萎縮していく過程でおきる認知症です。症状はもの忘れで発症することが多く、ゆっくりと進行します。(中略)若くても、脳血管障害やアルツハイマー型認知症のために認知症を発症することがあります。65歳未満で発症した認知症を若年性認知症といいます。若年性認知症者数は、3.57万人と推計されています。
厚生労働省
このとき赤木は53歳。厚生労働省HPの記述によると65歳未満なので若年性認知症ということになります。知略に長け、その天才的な閃きにより何度も奇跡を起こしてきたあの赤木がアルツハイマーにかかるという皮肉な運命。今の医療技術では進行を遅らせることが精一杯だと金光は言います。
だから赤木は自殺を決心しました。自分が自分でなくなる前に、「赤木しげる」としての知性や誇りが失われる前に、自らの手で人生の終止符を打つことを決めたのです。
金光和尚は赤木の葬儀の手筈や借金の後始末、その他諸々手続きの必要な清算を請け負い、赤木はそのすべてを見届けてからこの世を去る段取りとなっています。そしてその最終最後の別れの儀式が今回の通夜であると。仲間と一人ずつ10分か20分ほどの時間を設けて語り合い、それが終わり次第人生の幕を閉じる……それがヒロを含めた東西戦メンバーが集められた理由でした。
自殺の方法は、マーシトロン装置による安楽死。
金光曰く、アメリカの医師が患者を安楽死させる為に作られた「マーシトロン」を模倣した装置を使用するというものです。通夜の最後赤木は自分でそのスイッチを入れ、無痛の心臓麻痺により絶命する。
通夜の始まり。そのときヒロは……
戸惑っているのはヒロだけではありません。他のメンバーもそれぞれがどうしてよいかわからなかった。そんな混乱の中、とうとう異例の通夜が始まります。金光が先陣を切り、健が続く。鷲尾、銀次、僧我、原田……そのほとんどが赤木の自殺を留めようとしますがすべて失敗に終わります。赤木の決意は固く、そう簡単には翻らない。
そしてついにヒロの順番が回ってきました。ヒロも皆と同じ気持ちです。どうしても赤木には死んでほしくない……だけど、どう説得していいかわからない。突破口が見つからないまま、膠着状態に陥ってしまいます。
その状態を赤木は詰将棋に例えます。ヒロは今一手目をどう指していいかわからない。しかし動かなければ始まらない、不完全でもやはり動くことが道を開くことだと。理屈はわかりますが、ヒロからすればそう軽々に動くことはできません。なにせ説得の失敗は赤木の死を意味するのだから(最後に天を控えているとはいえ)。
煮え切らない態度のヒロに赤木がある提案を持ちかけます。麻雀牌のイーピンからキュウピンを各2枚ずつ計18枚裏返しにして、ヒロがその中からイーピンを二回連続で引けたなら自殺を取りやめるというものです。
突如降ってわいた好機。ただしおいしい話ばかりではありません。赤木は、もしそれが失敗したときはヒロの腕を一本もらうという条件をつけます。
ヒロは考えます。18牌中2牌を連続で引く確率は2/306=1/153。ひどい確率だ、とヒロは頭を抱えます。この分の悪い賭けにみるみるうちに曇っていくヒロの顔を見て、赤木は笑いながらこう言います。
「考えるな……!負けの可能性なんて……!」
今回みたいな場合はただ「勝ち」に賭けて、失敗したら約束は反故にすればいい。どうせ自分(赤木)は死ぬのだから。ヒロにはそういったずるさやいい加減さが足りないと。そう言っていつの間にか手中に収めていたイーピンを差し出します。つまりそのまま勝負を受けていたら、ヒロは100%負けていたということです。
「真面目であることは悪癖だ」と赤木は言います。それがヒロを9年間も停滞させてしまったと。そう、赤木は話を聞かずとも、東西戦以降のヒロの進退窮まった精神状態を的確に見抜いていたのです。赤木はヒロの全身からまっすぐ生きていない淀みや濁りを感じとっていました。
赤木は生命について持論を展開します。命とはすなわち輝き。輝きを感じない人間は命を喜ばしていないということが見て取れる。ではなぜ命が喜ばないといったら…
「要するに…動いていないのだっ…!命の最も根源的な特長は活動…動くってことだ…!動かなくなったら即 死なんだからよ…!」
自分の境遇を看破されただけでなくその本質までも突かれたヒロはてきめんにうろたえます。しかしヒロにも言い分はあります。彼だって好きでがんじがらめになっているわけではない。
「赤木さんにはわからない…!へこたれる人の気持ちがわからない…!やろう……と思っても…最初から萎えてしまう…そんな人間の気持ちがわからない…!なぜなら…なんでも出来る人だから………!」
それこそが天才赤木と凡人井川ひろゆきの差なのだと。それに対して赤木は重要なことは「楽しむか楽しまないか」だと答えます。しかしそんなことは無理だと抗議するヒロ。勝負を楽しめるのは勝利することが前提であり、負けるとわかっている勝負を楽しむことなど出来るわけがない。ただ傷つくだけだと。
ところが赤木はその「傷つき」すら悪くないと考えます。痛みを受ければ自分が生きていることを実感できる。なにより「傷つき」とは奇跡の素なのだと。世間一般で天才と謳われている人間は誰もが最初に傷つき、それをバネにして奇跡や偉業を成し遂げてきた。だから結局のところ最初から勝つ人負ける人なんてものは存在しないと赤木は言います。勝者も敗者もただの結果に過ぎない。
自分が勝てないなんて決めるな。そして行動を起こして失敗してもいい。それも人生丸ごと失敗したとしても万事OK!……そんなムチャクチャな。ヒロは赤木のこの言葉に、それまで抱えていた想いをぶちまけます。失敗の人生の一体どこがいいんだ。誰にも認められず、軽んじられ疎まれ嫌われる。そんな人生を送るくらいならまだ現状のほうが「まとも」であると。
しかし赤木は言います。
「その『まとも』って何…?平均値…世間並ってことか……?そういう恥ずかしくない暮らし…ってことか…?知ってる……?それだぜ…!お前を苦しめてるものの正体って……!」
世間で言われている「まとも」や「正しさ」にお前は振り回されて自分の本心に沿っていない。そもそも「正しい人生」なんてありはしないし合わせる必要もない。赤木はそうヒロに諭します。そして最後にこの言葉を贈ります。「さぁ、もう漕ぎ出そう。いわゆる『まとも』から放たれた人生に」
熱い三流なら上等
赤木と別れた後、ヒロは赤木との会話を反芻します。赤木はヒロの、成功を欲しがる気持ちもわかると言っていました。しかしそれはあくまで人生における飾りだと。人生そのものではない。動くこと、その熱や行為そのものが生きることであり、成功や失敗に囚われて熱を失ってしまうことのほうがはるかに問題であると。そしてここで赤木しげるの有名な名言が放たれます。
いいじゃないか…!三流で…!
一流になれなくてもいい。世間的な成功を掴めなくてもいい。だから失敗を恐れるな…!
まとめ
人の目や人生に失敗することを恐れ、本当に歩みたい道を歩めずにいたヒロ。彼を縛っていたのは真面目という悪癖であり「こうあるべき」という考え方・悪習でした。この物語は赤木しげるという絶対的な存在の死を描くものですが、一方でその鎖を死にゆく赤木が断ち切って解放させる「ヒロの再生」という側面もあったのではないかと思います。
今回はヒロという最も読者が感情移入しやすいキャラクターのシーンを抜粋しましたが、他のキャラクターと赤木の対話も非常に『死』を考えさせられる内容となっています。興味のある方はぜひぜひご一読を!
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